[メンバー]

K岡

[報告]

 四年前にラダックを旅したときから、この土地でのスキーを考えていた。2017年ストック・カングリに登って、ショルダー下の斜面は自分でも滑れると分かった。またストック・カングリ山頂から見たカンヤツェは、いかにもスキー向きの斜面の山だった。

 ちょうどその年に、カンヤツェを滑ろうとしていた日本人がいたことを聞いた。それが、今回偶然にもカンヤツェを一緒にぼることになった石塚さんだったのだが、当時は知る由も無かった。カンヤツェを滑った記録は多くないようだが、滑ろうとした人がいたことは、高所登山の経験が少ない、まして高所スキー経験ゼロの自分でも、チャレンジできそうだという気持ちにさせられた。今回の計画は、こんな風に始まった。

●8月13日

スリランカ航空で成田発、モルディブ・マレとスリランカ・コロンボ経由でデリー。

●8月14日

デリーの空港でスキーがBaggage Claimのベルトに出てこなくてちょっと焦る。長物(Overesize Baggage)で別所に保管されていた。以後も同じ扱い。デリーからビスタラ航空でレーへ。窓際の席だが、曇りで山の展望はなし。滞在するストック村の全景は見ることができた。レーの空港からタクシーでストック村へ直行する。インダス川を渡るチョグラムサルの橋(レーの町の下)が掛け替え工事で車の通行ができず、大回りになる。「ニャムシャン」(3625m)へ投宿。すでに二度お世話になっているホームステイ先兼エージェントで、ラダック人のスタンジン・ワンボさんと日本人のI田さん夫妻が経営している。子どもが三人いて、楽しく賑やかな家庭だ。体調は良好、7月下旬の白馬岳や富士山が効いた。

~中略~

●8月20日

朝起きると、雪は10cmくらい積もり、テントはバリバリに凍っている。しかし、日が昇ると急激に温度上昇し、カチカチだった地面はズルズルデロデロ。しかし登るにつれ積雪は増えて、5000mでは30cm前後。下山パーティーと次々すれ違う。分水嶺ゴンマル・ラ(5280m)に立つと、眼前にはマルカ谷の源頭を距てて真っ白いカンヤツェ。三日目の初対面、感動の景色であった。I塚さんワンボさんとも<前回と比べて雪が多い>と驚いている。峠では携帯の電波が飛んでおり、ラダッキもインド人もみんな連絡を取るのに夢中になっている。後発の馬方さんたち一行に追いつかれる。初めて来たコックのスナムは、写真を撮ってくれと自分のスマホを差し出す。峠からの下りは、積雪が数十センチあって、スキーがあれば滑りたいくらい。すぐテント場まで着きそうだったので、ゆっくり休みをとってカンヤツェのルートを観察。

目指すのは主峰カンヤツェⅠ(6400m)の右の肩のようなカンヤツェⅡ(6240m)。カンヤツェⅡへのルートとなる北東面は風下のようだ。途中で小雪庇状を越えて風紋のある西面から頂稜をたどると山頂である。人気の山で登山客は多いのだが、新雪でトレースは消えている。主峰のカンヤツェⅠはクレバスの目立つ急な北東稜がルート、難度が高い。のんびり下って広々としたニマリング(4840m)に到着。一帯は、マルカ谷の共有放牧地で、ヤギ、ヒツジ、ウシ、ヤク、他に登山隊の連れてきたウマとロバがいる。テント村が作られていて、トレッカーや登山者から各種料金を徴収している。今日はゴンマル・ラに登って降りてきたので、そのままレスト。微弱な頭痛はあるが、体調はまずまず。

〔行動時間〕ラルツァ4750m(9:00)-ゴンマル・ラ5280m(11:40-12:30)-ニマリング4840m(14:00)

~中略~

●8月22日

夜からのアタックに備え、この日は完全な休養日にする。テント場周辺をぶらぶら歩き回って、鳥を見たりキノコや風景のスケッチをしたりしていた。雪原を歩き回るマーモットが面白い。どんどん雪が溶けていく。登山・トレッキングのテントは30張くらいでインド人が多い。ラダックはデリーから飛行機で一時間ちょっと、経済発展に呼応してインド人の国内旅行者は急増し、レーの町でもトレッキングの村でも建設ラッシュが続いている。ニマリングやカンヤツェBCのような放牧地でも、土地所有者であるマルカ谷の村々の人たちが大きなテント村を設置するようになった。二年前にもここに来た石塚さんやワンボさんによると、その時はヨーロッパの人が多かったそうだ。昨日カンヤツェⅡをアタックしたパーティー(ラダック人ガイド+インド人クライアント)はラッセルで山頂に届かなかったようだが、今日は順調にトレースが伸びている。数パーティーは登頂したと聞く。上部の雪質が読めず、悩ましい。結局クラストが緩むであろう9時くらいに滑走開始と考え、出発を1:00とした。夕食後、仮眠。23:50起床。

●8月23日

0:30食事テントでチャイとポリッジを詰め込み、ワンボ、ガチョ、I塚、K岡の4人で1:00出発。今日はシール登高せず最初から板を担ぐ。先行するヘッドランプの明かりは多数、彼らは23時くらいに出発したようだ。半月でそれほど明るくない。一昨日も辿った岩混じりの斜面をHCまで登り、ここからは雪面の登高になる。傾斜は緩く、雪はまさかのパウダーである。気温は-10℃くらいだが、兼用靴を履いた足が冷たい。6時前には日出だが、曇天で一向に温かくならない。出発して6時間、疲れて徐々にペースが落ちてくる。小雪庇状を越えると傾斜が増して頂稜になる。登頂した人たちとすれ違う。背中の板がだんだん重くなる。10時にようやく山頂、遠くて疲れた。曇り空だが展望は360度、南方ザンスカールの山並の重厚さに目を奪われるが、山の名前はさっぱり分からない。カンヤツェⅠがナイフリッジの先に高い。

ワンボさんとガチョがタルチョーを固定する。10:20、私以外の三人は歩いて下山を開始。スキーヤーは私一人。山頂のすぐ下でスキーをはいて、ついにスタート!パックされた新雪の頂稜を、ギルランデで落としながらトラバース。風下斜面の手前で先行した三人に追いついた。ここから眼下のスキーヤーズライトに傾斜30°強のパウダー斜面がどーんと広がっている。素晴らしいシチュエーションに気合いを入れてスタートするが、連続4ターンが精一杯だ。息が続かない。ワンボさんがカメラを構えてくれるので、格好つけて9ターンしたら息が詰まり、苦しくてしばらく動けなかった。それでも標高が下がるにつれ、少しずつ楽に滑れるようになる。インド人の団体を追い越し、HCでスキー終了。

絶好のコンディションだったが、思った以上に体力を消耗していて、スキーをザックに付けるだけでも大変だ。ここからは三歩あるいて立ち止まるような感じで下山した。ワンボさんに追い抜かれ、彼から30分遅れでBCに到着。テントにいる馬方さんやスナムから祝福を受ける。椅子に座り込んだら、しばらく動けない。スナムが冷えたスイカを持ってきてくれる。強烈に美味しかった。I塚さんとガチョは一時間後、山頂付近で一緒だったインド人の団体の最後尾はさらに二時間後に戻ってきた。この日の夕食はキノコ・パーティーで、シャパ・シャモの天ぷらときのこ入りのモモ(蒸し餃子)。皆で登頂を祝い合った。

本当にスキーには最高の条件、幸運だった。しかし滑り屋のI塚さんが色々絡んでくる。<あの滑りでいいんですか?板をもっと縦に踏まないと。それに小回り過ぎる。ダメでしょう!>と(直接は言わないのだが)遠回しに繰り返す。うーん、難しいなあ。

〔行動時間〕BC5050m(1:00)-HC(3:10-20)-小雪庇5970m(7:25)-カンヤツェⅡ6240m(10:00-20)-HC(11:50-12:20)-BC5050m(13:30)

●8月24日

のんびり起床、これから二日かけて往路を戻る。10時前にBC出発、ワンボさんがキノコにはまって、シャパ・シャモ探しに夢中である。私も一緒に集めてビニール二袋になった。ニマリングからゴンマル・ラの登り返しがきつくて、ペースが上がらない。疲れがたまっている。4日前の一面の雪はすべて溶けてしまったが、おかげで植物を見る楽しみができた。ゴンマル・ラで、自分のシュプールをしみじみと見る。BCなどでスキー滑走をお祝いしてくれる人は多かったが、残っているシュプールは褒められたものではない。I塚氏に影響されたのかもしれない。そしてカンヤツェに別れを告げた。キャラバン二日目に泊まったラルツァで再び幕営。

〔行動時間〕BC5050m(9:45)ニマリング(11:10-20)-ゴンマル・ラ(13:15-13:50)-ラルツァ(14:35)

●8月25日

川の水量は落ち着き、足をぬらすことはなかった。道が復旧して、チョクドまで車が来ている。馬方さんとここで分かれる。彼はここからもウマを追い、2日かけてストックまで戻るのだ。ガチョとスナムとは、チョグラムサルの吊り橋でお別れ。石塚さん、ワンボさん、亀岡の三人で、ニャムシャンに戻ると、池田さんが出迎えてくれる。ホットシャワーが嬉しい。

〔行動時間〕ラルツァ(8:00)-チョクド(10:30)

●8月26日

I塚さん、同宿の人と3人で、タクシーをシェアして周辺観光。ティクセ・ゴンパとシェイのパレス(遺構)は登るのに息が切れる。レーで買い物をし、ビールを飲んで戻る。

●8月27日

帰国するI塚さんを見送った後、宿でのんびり。夜はカワカブ会の3人と一緒になる。

●8月28日

一人ストック川を遡り、支流ヤルツァに遊びに行った。ちいさな谷の地形には流水はないのが普通だが、ここには数百メートルの地表水があって、草木が生え蝶や蜂が飛び回っている。自然のオアシスだ。

●8月29日

早朝、ワンボ池田夫妻に見送られてニャムシャン出発。レー空港からデリー。マレーシア航空で30日朝に成田。トランジットのクアラルンプール空港は日本人が多く、日本語表記もよく見かけた。