L NG野師匠、クロスケ(記)
大氷瀑「Blue Fang」。
昨シーズン、その姿のあまりのイカつさに戦慄し、完全に打ち負かされたこの相手に今年もリベンジを挑んできた。
2022年1月。
ことのはじめはNG野師匠からの誘いだった。
「Blue Fang行かない?」
そう伝えてくる、その表情には、Blue Fang知ってる?というメッセージも感じた。
きちんとトポを見る習慣がない私は、このような誘いに乗っては、毎度あまりの難しさやアプローチの遠さに不平不満を申すのである。だがしかし、このときは違った。
Blue Fangは知ってる。
会の先輩が大奮闘した記録を読んだことがあった。その氷瀑に、アイス2年目の初心者が行っていいのか?いつもは2つ返事でOKを出す私も即答できなかった。
だがしかし、この師匠からの誘いは心の中ではとっても嬉しかった。
師匠は、ぶなの会に入ったばかりの私をあちこちのアイスに連れ回してくれた大先輩であり、文字通りクライミングの指導をしてくれた「師匠」だ。師匠はいつも厳しく、褒められたことなど記憶にほとんどない。いつも、下手とか、遅いとか、至らないところばかり指摘されている。
実際私は登るのはすごく遅いし、プロテクションワークなどまだまだ覚束ない部分はある。だから、一緒に山に行っても、どこかしらでまだ連れて行ってもらってる。という感覚が払拭できなかった。いつまでも師匠に頼っている状況の自分が不甲斐なかった。
そんな状況に少し変化を感じられたのが、今回の誘いである。
Blue Fangはアイスクライミング全国版の中でも上位に位置する難易度の高い氷瀑だ。師匠にとっても難しいはずのこの氷瀑に誘うのだから、これは少しは成長を認めてもらっている証拠、のはずだ。この山行をそう受け取った私は、きっとやり遂げてみせる。と心に誓って、シーズン初めからアイスに精をだした。その甲斐あってV+をリードすることもできて、それなりに自信をつけて当日を迎えた。
2022年2月18日。
この日を境に、私の氷瀑に対する見方は変わってしまった。時代はBlue Fang前とBlue Fang後に分けられてしまったのだ。
この日は天気が良かった。少なくとも午前中は登攀日和だった。ラッセルして、アプローチに迷って、取り付きに着いたのはお昼頃だった。
初めて眺めるBlue Fangは、大きくて、隣を流れる不帰ノ滝の水音も激しく、威圧的に聳えていた。
そして何より予想外だったのは、最初の10mほどが倒れて前傾壁になっていたことだ。こんな氷、見たことがない。いつものノリで「1P目やる?」という言葉。師匠にはこの前傾壁が目に入ってないのだろうか。私は謹んで辞退させてもらった。これは無理ゲーだろ。。。
そう思って眺める師匠の背中。頑張って堪えていたが、前傾壁の途中であえなくテンションが入る。師匠がテンションを入れる姿は初めて見た。これは、、、マジでやばいぞ。この段階で、私の目標はとにかく上に抜けることに変わっていた。
それでもさすが師匠。40mほどでなんとかピッチを切り、自分も前傾壁にアックスを打ち込む番がきた。
初めての前傾壁アイスは手も足も腹筋も常に力が抜けない。辛い。フォローでもヘロヘロだ。1回アックスを打つごとにテンションが入る。時間だけが無情に流れていく。寒い。疲れた。帰りたい。もう降りたい。。。こんな弱気になったのは初めてだ。
1P目の終了点についた時、言葉はなかったが、ここで懸垂する?というアイコンタクトがあったような気がする。正直めちゃくちゃ帰りたかった。2P目もリードをお願いしたかった。でも、私はここに何をしにきたのか。登りにきた。師匠に少しでも認めてもらうためにきた。何をそんな弱気になっているのだ、とギアを受け取り、続きの氷瀑を睨みつける。幾重にも連なった青い牙が、私に刃を向けている。
呼吸を整えて、落ち着ける終了点から宙に体を出す。
高度感のある2P目。複雑な形状の氷は、アックスを打ち込んでもなかなか決まらない。足が切れる。手がパンプする。何度も何度も打ち込み、氷の破片を頭からかぶる。ほぼ垂直のこのピッチは、前傾してた1P目に比べれば遥かに易しい。だが、私に余力はなかった。各駅停車で確実に進む道を選び、アックステンションを多用して進む。こんなへぼい登りをしにきたわけではないのに。どうしようもなく悔しかった。
リードしてる間にどんどん天気が悪化し、晴れていた空は曇り、風が吹き荒れる。不帰の滝の水飛沫を浴びて全身が凍りつき、とにかく寒い。グローブも固まり操作がぎこちない。その内、打ちかけたスクリューを1本落としてしまった。回収にいくことなどできるわけがない。くそっ、声が漏れる。今度こそは、と違うスクリューを取り出したら、そのまま滑ってもう1本落としてしまった。なんという失態か。これで2本分進むことができなくなってしまった。いや、先の2本分どころではない。とにもかくにも、一刻も早くこの場所を去りたかった。
一手一手、一足一足、とにかく目の前の1つの作業に集中する。スクリューの残量に注意しながら、ようやくピッチが切れそうな場所を発見する。よし、あそこで切ろう。ゴールが見えると、「終わりがある」と安心するものだ。そう思った束の間、最後の最後で足が切れ必死の想いでアックスにしがみついた。あーもー、ほんとに余裕がない。情けない。泣きたくなってくる。
膨大な時間をかけて2P目が終わり、残りは優しい緩傾斜を残すのみ。冷え切った体でもささっと追いついてくる師匠。日の入りが迫る我々には、時間的余裕もなくなってきた。久しぶりの固くない斜面の安心感。ようやく緊張の氷瀑を抜け、灌木帯に入る頃にはあたりは薄暗くなっていた。
大急ぎでデポした荷物に向かい、撤収開始。無情に吹き荒ぶ風は行きのトレースを跡形もなく消し去り、暗くガスった景色ではどこがどこだが判断がつかない。GPSを頼りに歩いていくと、見覚えのある神社が。ああ、朝見たのがすごく昔のことのように感じる。
戻ってきた駐車場には人はもちろん灯りもない中、朝と同じ場所に同じように停まっている車がこの世に戻ってきたこと実感させてくれた。
初めてのアルパインアイスで落ちて、リードを初めて1ヶ月でも落ちて、それでもなんだかんだ毎週通っていればそれなりには上手くなって。今回もいけるかな。なんて甘い見通しは根っこから引っこ抜かれてしまった。
これほど圧倒的に打ちのめされたのは初めてだった。しかし、こういう経験があるから、今ではあの時に比べればマシ。という指標となっている。登っている時は確かに辛かったが、歯が立たない相手との出会い。というのは、なんだろう。心躍るものがある。やっと出会えた。と、どこかで待ち望んでいたようにも思う。
マイナスな発言、感情が現れてしまったが、その発見は自分にもそういう感情があったのか。と、いう新たな気づきでもあった。
あぶないガールと言われる私は「怖くないの?」とよく聞かれるが、いつだって全く怖くないわけではもちろんない。でも「自分はまだ本当に怖いものに出会ってないから知らないだけ」という可能性に気づけた。そうなのだ。それなりに怖い目にあって、痛い目にもあって、学んできた。だけどそれが限界ではない。自分の可能性を自分で狭めてはいけない。まだ知らないだけ。だから足を運ぶ。挑む。だから挑戦というのは楽しいのだ。
辛くて帰りたいと思いながら登っていた2P目。多分だけど、その感情とは裏腹に、私の顔はその手応えにニヤけていたと思う。むずかしー!ってたのしー!!って。
そして、今シーズン。
2022年12月。アイスシーズンが始まった頃、他のアイスクライマー同様「今季のアイスはどこに行こうか」と私もプランを練っていた。自分の力量ではまだ及ばない気がするから、Blue Fangのリベンジは来シーズンかなぁと思っていた矢先だ。師匠から連絡が来た。
「今シーズンBlue Fangリベンジ行く?」
’’今シーズン’’と言ってくるあたり、こちらの考えは見透かされてるようだ。
いつまでもチャンスがあるとは限らないし、アイス以外のシーズンだってクライミングしてるのだから、やってやれないことはないだろう。と、その場で日程を決めた。
2023年2月3日
昨シーズンより少し早いが、決戦の日が来た。
準備はしてきたつもりだが、先に入っていた予定が冬壁だったので、正直今季はまだあまりバーチカルアイスを登れていなかった。
夏に槍ヶ岳西稜に一緒に行った先輩とアイス100本ノックに出かけ、とにかく傾斜に慣れるべく登り込んだ。1日中上手な人の登りを見て、真似して登って、少しはマシになったはず。と思い込む。
ギアの準備も入念に行った。昨年は、10年以上使ってて爪が短く刃先も丸まっていたおさがりのアイゼンだったが、今回は新品のダートである。それに冬壁で丸まってたアックスもしっかりと研いだ。師匠の方も新品のスクリュー5本投入に、デナリ研ぎのギンギンのノミック2本を携えていた。特に作戦会議をしたわけではないが、この用意周到さに昨年の苦い思いを共有できた気がする。
1週間以上前から気が重かった。またあの場所に行くのかと。
そんな私を見てか聞いてか、多くの会の仲間からがんばれ!とメッセージをもらった。そんな言葉に背中を押され、東北道の道を走っていく。
夜明けと同時に出発。やけに風が強い。アプローチはわかっているので歩みに迷いはない。だが風が強く唯一露出している頬が痛い。昨年より雪が少なく、瞬く間にたどり着く滝上の駐車場。あまりの風の強さにここで敗退もよぎる。こんな風の中ではあの氷瀑は、とてもじゃないが登りたくはない。まぁまずは取り付きまで行ってみよう。ということで下降を開始する。撤退の選択肢が現れた時に少し安堵してしまった自分が憎い。
回り込んで下っていくと、今年のBlue Fangがその姿を露わにした。何度見てもかっこよくていかつい風貌だ。怖いけど、今からこれを登るのか、と気持ちは昂ってきた。
取り付きに降り立った。さて、心を決める時間がきた。
見上げるBlue Fangは昨年と異なり亀裂はなく、前傾もしていない。というか足場もたくさんあるし、あまり立ってなくない?これなら全然登れそう。。。
若干、いやかなり拍子抜けしてしまった。。横で見上げる師匠の顔も、ホッとしてるように見える。
風も落ち着いてきたので早速登攀開始。取り付きは10時。昨年に比べて時間の余裕もたっぷりある。今回はリベンジなので前回と同じピッチを担当した。個人的には2回目だし交代してみたかったが、「リベンジだから」と言う師匠には強い意志を感じた。実際、あの前傾壁をどう攻略すべきか研究していたようだった。
1P NG野 Ⅵ-(体感はⅤ+) 40m
85度くらいで柱も太く悪くない。部分的に登りづらい箇所もあるが、さして問題なく師匠は長い手足でぐいぐい登っていく。左上して中央左の穴の中でピッチを切る。風のせいなのか気温の割に手が冷えて、テンションはいれないものの、リードより時間がかかるイケてないフォローをしてしまう。2P目の核心は、ここでいかにセーブするかが大切だ、と言い訳しておく。
2P クロスケ Ⅴ 25m
ステミングできるチムニーの中からスタート。リードに切り替わると途端に恐怖が襲ってくる。全体的にツララ状で、傾斜はないが立体的で登りづらい。そしてなによりこの高度感で宙に放り出される感じがたまらない。水が透けて見える薄い氷、硬い氷、色々な氷質を感じながら右上。なんとなく昨年と同じような形状になってる穴でピッチを切る。よし、私の核心は終えた!という満足感に浸る。
フォローで上がってくる師匠は途中で写真を撮る余裕っぷり。こういう部分にまだまだ実力差を感じざるを得ない。
3P NG野 Ⅳ 30m
傾斜が緩く快適なピッチ。抜け口付近は氷が薄く水が垂れている箇所も。とはいえここまでくればなんてことはない。地面がある安心感。灌木の終了点で合流し、よっしゃー!とはしゃぐ私に、師匠から無言のグータッチ。リベンジ完了だ。しばし喜びを分かち合い、ロープをたたむ。
そこから少しラッセルして荷物の残置場所へ。昨年はこの段階でヘッデンで、吹雪いてたのがなんだか懐かしい。氷瀑を抜けた安心感は比較にならないくらい前回の方が大きかった。風ですっかりなくなったトレースを、なんとなく追いかけながら下山。無事登れてよかったよかった。
牙が全くないBlueFangは、なんか物足りないし、これでリベンジ完了したと言ってもいいのか?という疑問は残る。まぁそれがある意味アイスクライミングの醍醐味なのかもしれないが。
毎年形が変わり、気温や天気にグレードが左右される氷瀑は、高グレードが登れたからと言って一概に上達したとは感じづらい。だからこそ師匠や、他の上手なクライマーからの言葉というのが大切なのだと思う。正直、師匠からの信用はまだまだ浅い。でもいつの日か、「下手くそ。遅すぎ。がんばりなさいよ。」と言われる登りを、「上手くなったなぁ。もう敵わないよ。」と言わせるようなクライマーになりたい。
そしてできることなら、こてんぱんにやられた”あの「Blue Fang」”にまた挑みに行きたい。
【NG野師匠の感想】
昨シーズンの Blue fang は、横に入った亀裂から、下部の分厚い氷柱が前に倒れており、1ピッチ目が前傾氷瀑になっていました。
「えええ、こんなの登るの!?」
初めて見た前傾氷瀑、剥き出しの獰猛な蒼い牙に圧倒され、取付いたもののテンション交じりになってしまい、心残りになってしまいました。
今シーズンはその悔しい思いを返すために、再び Bule fang へ行くことにしました。
ところが、いざ、Blue fang の前に立つと亀裂も無ければ前傾もしていません。
「えええ、これなら登れるのでは!?」
蒼い牙は鳴りを潜めており、すっかり拍子抜けしてしまいました。
とはいえ、国内を代表する大氷瀑に変わりはありません。
「リベンジを果たした!」と言えるかは複雑な心境だけど、きっちり登り切ることができて、気持ちはほっとし、2年越しの感慨深い山行になりました。
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