北海道利尻山東北稜 2024/3/21-23

アルパイン(雪山)

メンバー L N口(会外)、N島R恵(記)

3月20日 羽田→札幌→利尻(利尻泊)

3月21日 0825アフトロマナイ川右岸の林道→東北稜→1630ころ1200m付近幕場

3月22日 0800幕地→三本槍→1140門→1550山頂→北稜→1700長官山小屋

3月23日 0700小屋→1000野営場→1020ゲート→風呂→1710鴛泊発フェリーにて離島

初日(わずかに雪、後に曇り)

タクシーにアフトロマナイ川右岸林道入り口まで送ってもらう。ちなみにタクシーの運転手さんは前日我々を空港から宿まで送ってくれた人で、我々が下山した時にも迎えに来てくれ、風呂から港まで送ってくれた。最初から最後まで世話になった。

 林道は絶賛除雪中。ワカンなしで歩けたのはわずか200m。そこからワカン。先行する山スキーのトレースが残っていた。あとで知ったことだがこれは3月上旬、4名を巻き込み1名が亡くなった雪崩事故の遺留品捜索のために、道警がつけたトレースだった。頭が下がる。

 林道を進み、川を横断して370mコルに上がり、東北稜に入る。振り返ると利尻水道、そしてサロベツの白い連なりが美しい。

 記録では、1003mピークまで何もない。とあるが、何度か危ういトラバースがありザイルを出す。1003mピークを過ぎると、結構な雪庇やらナイフリッジであり、これでノーザイルっていうのはちょっとない、ということで、かなりザイルを出した。稜は次第に細く、風は次第に強くなり、どこで幕を張るか悩ましい。結局、1200m付近で張ったが、結果的にはこれより上に行ってもあまりよい幕場はなかった。

2日目(晴れ、強風のち風)

 夜じゅう風は強く、朝になれば収まるという予報は見事に外れ、4時になっても幕の天井が寝ている我々の顔にくっつくほど吹きまくられた。一瞬、撤退もよぎったが、5時を過ぎると若干弱まった。風の隙をついてテントを撤収し、歩き始める。三本槍はすぐそこ。

 記録には「灌木で支点を取る」などとあるが、灌木などどこにも見当たらぬ。完全に真っ白な世界で、これほどパーフェクトに白く美しい雪稜を見たのは久しぶりであった。

 雪が多いため、ステンディングアックスとスノーバーを駆使しながら慎重に登る。雪庇は右に左にと張り出し、稜はしばしば大きなきのこ雪を載せて恐ろしい。N口はさすがベテランで、まるで林道を歩いているかのようにスタスタと雪庇を縫って登っていくさまはお見事であった。

 11時、核心の「門」にたどり着く。分厚く雪がついており、イボイノシシなどお呼びでない。野口リード。スコップで雪を崩しながらの登攀となり、非常に時間がかかった。やっと解除。全装をしょって野島フォロー。

 これを抜けると次はローソク岩基部の雪壁を左から回り込む、のだが、非常に斜度強く、雪の状態も悪い。野島リード。ともすればオーバーハングしている雪を掻き崩し、搔き崩ししながら登ったのだが、何度となく、やばいこれは落ちる、下で確保している野口も巻き込むかと緊張した。まあ、なんとかかんとか抜けきった。

 だが東北稜のナイフリッジはまだ続く。懸垂したとか懸垂支点を掘り出したとかいう記録も多いが、雪が多くて埋まったのか、懸垂はなく、延々と稜上をアンザイレン。ようやく1550mまで進み、最後の雪壁を仰いだ時にはほっとした。雪壁上部正面には岩が出ており、これを右から巻くように登る。斜度が落ちたところで、ようやくザイルを畳む。あとは一挙手一投足で、我々は、並んで山頂に立った。360度、紺碧の海と白い稜が、日を浴びて奇跡のように輝く。生きて抜けたことに感謝して祠に手を合わせた。

 長官山の小屋まで、再び爆風に煽られながら降りる。二階の窓から小屋に入り込み、ようやく風のない静かな夜を過ごした。酒が切れた。

3日目(晴れ、強風)

 相変わらず風が強いが、もう危険箇所はない、勝手知ったる北稜である。アイゼンワカンで下る。針葉樹林帯に入るとスキーヤーにすれ違う。野営場に着くと、道路が除雪されていたため、タクシーが入れるかと思ったのだが、残念ながら2キロ下にゲートがあり、野営場までは入れないという。仕方ないのでのこのこ道路を歩き、ゲートに着くと、そこが温泉であった。12時に風呂が営業開始するまで荷物を整理して待ち、入浴後タクシーを頼む。風呂の中は暖かく、おばあちゃんたちの強い北海道訛りが懐かしく快かった。

 さて、帰るぞ。飛行機を取ろうとJALに電話をすると、利尻・丘珠間の席は取れるが、千歳・羽田間は今日も明日も全満席だという。札幌恐るべし。仕方ないのでフェリーで稚内に渡り、稚内で打ち上げをして泊。翌日JRで旭川に移動し、旭川から東京に飛んだ。

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